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西日本旅客鉄道阪和貨物線
西日本旅客鉄道 阪和貨物線   にしにっぽんりょかくてつどう はんわかもつせん
久宝寺〜杉本町   きゅうほうじ〜すぎもとちょう   10.1km

JR関西本線(通称、大和路線)にある数多くの駅のうち、大阪市平野区には「加美」と言う
普通のみ停車する比較的小規模な駅がある。この駅の北側では盛んに、
城東貨物線を流用しての大阪外環状線の建設工事が進行している。
2008年頃をメドに、加美の隣駅である久宝寺から放出までの区間が旅客路線化され、
大和路線からも尼崎へ快速などが乗り入れる予定になっており、城東貨物線の日々の変化は目を見張るものがある。
JR加美駅から見た工事現場大和路線と外環状線の合流地点大和路線の上をまたがる外環状線高架橋
2005(平17)12.10@JR加美駅東側の工事現場

一方で、加美駅の南側に広がる貨物線にも目を向けてみよう。
(2005年時点で)加美駅付近でぷっつりと途切れた単線の赤さびたレール、
線路敷に捨てられた数多くの生活ごみ、金網で人が侵入できないよう線路が封鎖された踏切など、
明らかに、旅客化工事で近代化が進む城東貨物線とは180度違う扱いを受けているのが分かる。
これが阪和貨物線の姿なのである。(阪和連絡線とも呼ばれる。)
1952年に建設された阪和貨物線は、阪和線と関西本線との間を行き来する
数々の回送車や貨物列車でにぎわっていたが、そのにぎわいは今や過去の話に過ぎない。
実は、過去には北側の城東貨物線とあわせて、阪和貨物線も旅客化されることが検討されていた。
(旅客化といっても通勤車両を頻繁に走らせられるような改良工事を行うことで、
1965年から臨時列車などは旅客営業車であっても通っていた。)
1961年ごろの大阪市の鉄道網計画では、阪和貨物線は城東貨物線と一体化しての旅客化が予定されており、
さらに杉本町までの阪和貨物線をさらに西へ延伸して、大阪湾方面へ伸ばす事も考えられていたという。
しかし、結局のところ阪和貨物線は旅客路線として生まれ変わることなく、
大阪外環状線建設工事に支障する関係で2004年7月を最後に休止となり、現在に至っている。
理由としては次のような事情があったのではないかと私は思う。
1960年代当時の大阪都市圏の国鉄区間には都心部ですら単線区間が残っており、
工事が大幅に後回しにされてしまい、ようやく大阪都心部の路線の整備が終わって
周辺部の路線充実に取り掛かろうとした1980年代には国鉄の財政再建期間に当たって
阪和貨物線の旅客化は中断となった。その後JR西日本に引き継がれたものの、
JR西日本は民間企業だけあって莫大な費用の掛かる旅客化には慎重になった。
結局は阪和貨物線は全線を通して大規模な駅がなく、
さらに半分以上の区間では南側に大和川が広がっていて駅勢範囲が狭くなってしまうという理由を挙げて、
旅客化計画を消滅させたのではないだろうか。
今のところ、再度旅客化工事を行おうという動きはない。しかし、管理者であるJR西日本(西日本旅客鉄道)は
この阪和貨物線を廃止するという発表はしていない。むしろ、各所に点在する踏切から
線路敷に入れないよう金網で線路をふさぐ工事を行っており、
こうすることで人の侵入やごみの不法投棄をしにくくさせるという形で、いずれ再び阪和貨物線を
活用しようとするのではないかとさえ思わせる動きを見せているのである。
今後も場合によっては旅客化されて大変貌を遂げる可能性もありうる阪和貨物線の今の姿をレポートする。

久宝寺駅を出発する103系阪和貨物線の正式な起点はJR関西本線の八尾駅とされているが、今回は一つ西隣の久宝寺駅から訪ね歩きを始めてみる事にする。久宝寺駅はかつて竜華貨物駅があった場所を利用しての駅前再開発で知られる場所で、ここは大阪外環状線の南側の始発駅ともなる。駅のホームから、今後淘汰の進む国鉄時代の標準型通勤電車、103系を撮影してみた。前照灯が丸く、まだ電球1個で前を照らしていた頃の名残があり、このスタイルから、もともと冷房がなかったものの後から設置された車両である事もわかる。






2005(平17)12.10@久宝寺駅

外環状線、大和路線と道路の交差地点久宝寺駅から複雑に入り組む道路をひたすら西方向に向かって進み、加美駅付近までやってくると、巨大な高架橋が立ち上がりつつあるのが目に見えてきた。これが、現在旅客化工事の進む北の貨物線、城東貨物線の姿である。この高架橋の奥に、線路が途中でぷっつりとちぎれた状態で運行休止扱いで放置されている南の貨物線、阪和貨物線の北の終端部がある。阪和貨物線は、古くは加美駅付近から大和路線に沿って八尾駅まで延びていたようだが、現在は加美駅付近で大和路線に合流する形になっている。同じ貨物線でも、北と南ではその様子が全く異なっているのである。






                                     2005(平17)12.10@加美駅北側

阪和貨物線と関西本線の合流地点阪和貨物線と大和路線とがポイントで合流していた部分の線路は全て剥ぎ取られ、巨大なクレーンが高架橋の支柱の基礎工事のために鎮座していた。大阪外環状線の久宝寺〜放出間の開通後、再び阪和貨物線と大和路線とがポイントでつながるかどうかで、今後のJRの阪和貨物線に対する態度が表明される形になる。私は、ほぼ確実につながるものだと思っている。沿線住民からは、阪和貨物線はもう廃止になったのではと言う声も聞かれるが、それであれば着々と路盤の撤去、土地の売却が進み、以下のようなレポートは作れなくなっているはずだ。






2005(平17)12.10@加美駅付近の阪和貨物線北側終端部

阪和貨物線と大和路線との合流地点上の写真からやや後ろへ下がったところにある踏切から、阪和貨物線と大和路線との合流地点を撮影してみた。工事に支障しない部分まで、線路が敷かれたまま放置されているのが見える。さらに架線もここで架線柱に引き込まれ、外環状線の高架橋建設の妨害とならないような措置がきちんと取られている。








                     2005(平17)12.10@加美駅付近の阪和貨物線北側終端部

踏切から封鎖されている阪和貨物線阪和貨物線の全ての踏切にはこのような金網で構成されたバリケードが設けられていて、これは線路内へのごみの不法投棄を防止するためではないかと思われる。この写真を撮影していたとき、法面の部分を一匹の犬がうろうろしているのを発見した。阪和貨物線の列車運行が休止になってから1年以上経っているだけに、徐々に線路敷が単なる空き地と化しているような感じを受ける。








2005(平17)12.10@加美駅南側の踏切

加美駅南側の大カーブ老朽化の進む高架橋老朽化の進む高架橋
阪和線では珍しい高架区間の写真3連発。阪和貨物線は大部分が地上に路盤が敷かれる形で構成されているが、一部区間に高架区間が存在している。ただ、戦後間もない時期に建設されたものと思われ、特にコンクリート高架橋はかなり老朽化している。戦前の鉄道路線の高架区間は十分な強度を見込んで建造されたために今でも使用される事例が見られるのだが、この高架橋は大丈夫なのだろうか? 本格的な旅客化工事を行うなら、これは一から建造しなおす必要があるかと思う。
2005(平17)12.10@阪和貨物線 加美〜出戸間

極めて低い位置にある阪和貨物線のガード何と地上から2.1mしかない高さに阪和貨物線のガードがかかった場所を発見。ちょうどこのガードは、高架だった路線が地上に降りてくる途中の区間にあるため、これだけの高さにしか設置できないのは仕方ないのかもしれない。ただ、ガードの真下の道路幅は、もっと拡幅すべきだと思う。なぜなら、ここの道路は意外にも交通量が多いためなのだ。このガードの下だけ車一台分の幅しかないせいで、ここの付近で車同士がすれ違うのに苦労する光景を何度も目撃した。ちなみにこのガードは、1980年代に塗装が塗りなおされて以降、何も手が加えられず放置されているようだ。






2005(平17)12.10@阪和貨物線 加美〜出戸間

北から地上に降りてきた阪和貨物線阪和貨物線に沿って進路を南に進めると、大阪市交通局地下鉄谷町線の出戸駅が近づいてきて、次第ににぎやかさを増してくる。阪和貨物線が地上に降り切ったところにある竹淵踏切から、北側を撮影してみた。複線化のための路盤が確保してあるようだが、これはかつて国鉄が阪和貨物線を近代化しようと考えていた頃の名残なのだろう。








                                      2005(平17)12.10@竹淵踏切

地下鉄谷町線出戸駅北側の阪和貨物線地下鉄谷町線出戸駅北側の阪和貨物線地下鉄谷町線出戸駅北側の阪和貨物線
大阪市の出戸地区には、阪和貨物線の踏切がたくさんあるのだが、地下鉄出戸駅の北側にある踏切の様子の写真を3枚集めてみた。踏切は踏切と思われていないようで、人も車も皆、一旦停止せずに次々と走り去っていく。出戸地区に住む人たちにとって阪和貨物線は存在感の薄いものである事が如実に分かる光景である。複線化のためと見られる用地がここにも写っているが、今後も使われることなくずっと放置されると思われる。
2005(平17)12.10@竹淵踏切周辺

出戸駅が設置されると思われる場所出戸駅が設置されると思われる場所出戸駅設置予定地周辺の踏切
ちょうど大阪市交通局地下鉄谷町線の出戸駅と阪和貨物線が交差する地点付近に、出戸駅の建設構想があったようである。この付近は複線化用地が全て確保されており、旅客化工事が行われていれば行き違い設備が設けられていたはずだ。周辺は出戸地区の中心地域で、核店舗であるダイエーを始めパチンコ店やレストラン、集合住宅などが並び人通りが多く、そんな中でこれほど広い土地が遊んでいるのはかなりもったいない。主に地方で見られる、警報機も遮断機もない第四種踏切も残っており、阪和貨物線の路盤の部分だけ時代の流れに取り残されているようにすら思える。
2005(平17)12.10@地下鉄出戸駅付近

瓜破霊園付近を横切る阪和貨物線出戸駅が設置されると思われる場所を過ぎると路盤は再び単線幅となり、大きく西へ向かってカーブする。阪和貨物線の北西側に瓜破霊園が広がるようになってくると、徐々に地方のローカル線の雰囲気を帯びてくる。この付近では地方ローカル私鉄で今も多く見られる木の架線柱が未だに残っており、ここが大阪市内である事を忘れてしまいそうになる。かつてこのカーブ付近から、八尾空港に向かう短い支線が伸びていたようだが、瓜破霊園の東側は区画整理が行われているようで、どこから分岐していたのかはまるでつかめない状態だ。






2005(平17)12.10@瓜破霊園東側カーブ

瓜破霊園と大和川にはさまれる阪和貨物線瓜破霊園横のカーブを曲がりきると、そこから杉本町に向かって直線的に西へと線路が延びているが、次第に低い位置へと移行し、大和川の堤防の横を通るようになる頃には一段低い場所を通るようになっている。草木が生い茂った場所の近くを通るところでは、草が線路上にまで生えてきており、まるで地方ローカル線のようである。鉄道にそれほど詳しくない地元以外の人にとっては、廃線跡のようにしか見えないだろう。しかし、この路線は、まだ廃止になってはいない。いつか臨時ではない旅客列車がここを頻繁に通るようになるかもしれない。






                             2005(平17)12.10@瓜破霊園南側の掘割区間

瓜破霊園と大和川にはさまれる阪和貨物線上の写真と同じ場所から西の方角を撮影してみた。奥のほうに見える大きな道路橋は西名阪自動車道、高野大橋それに瓜破大橋である。これらの道路橋の方が存在感がとても大きく、阪和貨物線は低い場所を走っていることもあって目立たない。この周辺にある公共交通機関は市バスのみで、写真右側に高野大橋バス停がある。








2005(平17)12.10@高野大橋北詰付近

近鉄南大阪線との交差部付近南側に大和川が並行するようになると、阪和貨物線に沿って伸びる遊歩道から線路の様子をうかがうことができるようになる。西名阪自動車道と瓜破大橋の下をくぐった後、1キロほど歩いたところで振り返って撮影してみた。はるか遠くに見えている大きな構造物が西名阪自動車道と瓜破大橋である。左側に小さく阪和貨物線が伸びている。この遊歩道は大和川の堤防上にあるだけに見晴らしは非常によく、大勢の人がここを散歩している。大和川を手前に、西に沈んでいく夕日を撮影する事だって容易に出来てしまう。






                  2005(平17)12.10@近鉄南大阪線と阪和貨物線との交差部付近

公園南矢田地区を通る阪和貨物線近鉄南大阪線の下を潜り抜けて少し西側に来たところにも、薄暗くて阪和貨物線の存在が分かりにくくなる場所がある。この周辺には近鉄矢田駅があり、矢田地区の拠点駅となっていることを考えると、阪和線の旅客化が行われるとする場合、小規模ながら矢田駅ができる可能性がある。ただこれはあくまでも私の予想であり、実際にどうなるのかは全く分からないことであるので、本当に阪和貨物線に矢田駅が設けられるものだとは信じないでいただきたい。







2005(平17)12.10@下高野橋北詰付近

庭井地区を通る阪和貨物線「枯木踏切」という、寒そうな名前の踏切の近くから、庭井地区を通る阪和貨物線を撮影してみた。近くに阪南高校があり、住宅もまずまず多く立ち並んでいる。上で提案したように、この周辺に矢田駅を設置して旅客化するということは決してムダではないように思えるのだが。ただ単に、臨時列車や回送電車の通過の場として供するのはもったいないとJRは思わないのだろうか。まあ、収益の上がらないと見込める路線にはなかなか投資しようとしたがらないJR西日本のことだから、国土交通省が社会実験で試験的に阪和貨物線に1両で通勤電車を走らせてみようなどと言い出さない限り、いつまでも阪和貨物線は変わらないのかもしれない。





                                    2005(平17)12.10@枯木踏切付近

あびこ筋と阪和貨物線の交差部庭井地区からさらに西側へ進んでいくと、阪和貨物線はあびこ筋を構成する、吾彦大橋の下をくぐる。この橋の真下には地下鉄御堂筋線が通っており、まさに大阪市南側の大動脈なのだが、吾彦大橋の下は至ってのんびりした雰囲気だ。この橋の下にある踏切にもやはり金網での封鎖がされてしまっており、撮影しづらい。人々はここでも一旦停止せずに踏切を通っていく。いたずら防止のせいか遮断棒がなくなっているが、それがますます阪和貨物線の存在を目立たぬものにしている。







2005(平17)12.10@吾彦大橋の真下

大阪市立大学北側の路盤ここまで来ると阪和貨物線の終点、杉本町はもうすぐである。南側に大阪市立大学の杉本キャンパスが広がっており、住宅地の間を縫うようにして阪和貨物線の線路は延びている。地下鉄御堂筋線のあびこ駅に近いだけにマンションが数多く立ち並んでいる。大阪市立大学キャンパスの東側には、かつて御堂筋線があびこ止まりであった頃に設けられた地下鉄車両基地があったが、今は数キロ南側の新金岡へと移ってしまい、跡形もない。代わりに大阪市の公共施設がいくつも立ち並ぶようになっている。






                               2005(平17)12.10@吾彦大橋北詰の東側

車を止められるほどに存在価値の低い阪和貨物線阪和線の手前まで西へ向かって伸びてきた阪和貨物線は、杉本町駅の手前で大きく南にカーブし、杉本町駅の構内へと進入する形を取っている。杉本町駅のすぐ北にある阪和線の踏切の横には阪和貨物線の踏切も用意されているものの、こちらは警報機が残っている他は踏切らしさを失いつつあり、この通り軽トラックの駐車場所にされてしまっている。いつか阪和貨物線の各踏切にある金網のバリケードが解かれて、再び有用な路線として機能することを願うばかりだ。







2005(平17)12.24@杉本町駅北東

杉本町駅4番線ホームから見た阪和貨物線杉本町駅構内に入った阪和貨物線が、杉本町駅4番線の横を一直線に伸びている。4番線の線路は普通電車が頻繁に入線するために輝きを保っているが、阪和貨物線のものはご覧のとおり錆び付く一方である。阪和貨物線はこの100メートルほど先で、阪和線に合流する形で終わっている。2004年までは「錆取り列車」なる線路維持のための回送車両がここによく停車していた事で鉄道マニアたちの人気を集める場所だったが、その光景は過去帳入りとなった。私は2002年ごろから、経済的観点で鉄道を見るくせがついているだけに、そんなものを走らせるくらいなら簡易ホームを出戸と矢田に整備して、単行(一両)で旅客列車を走らせるほうがまだいいのではないかと思っている。





                                   2005(平17)12.24@杉本町駅4番線

杉本町駅全景杉本町駅構内の様子を撮影してみた。右端に写っているのが阪和貨物線で、本当に地味な存在である事が分かる。これまで私は過去に旅客化計画が策定されたために、いつか阪和貨物線が地域に密着した路線として活用される事を見込んで、「未成線」として扱った上で旅客化を期待する視点からコメントしてみたが、将来JR西日本が再び錆取り列車や阪和線〜大和路線間の車両入れ替え、臨時列車の運行ばかりを行うようになるならば、思い切って廃止と言う選択肢もあってよいと思う。どれも天王寺駅構内の留置線を使えば機能が代替できる上に、さして鉄道に興味のない沿線住民にとっては存在価値のない迷惑な存在だからである。阪和貨物線が廃止になるならばマニアたちは残念がるだろうが、鉄道とは言うまでもなく沿線住民の利便に供されるものでなければならない以上、仕方がないことなのではないだろうか。そんな事を考えつつ、私は普通電車に乗って杉本町駅を後にしたのだった。


2005(平17)12.24@杉本町駅3番線


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