


阪和貨物線の正式な起点はJR関西本線の八尾駅とされているが、今回は一つ西隣の久宝寺駅から訪ね歩きを始めてみる事にする。久宝寺駅はかつて竜華貨物駅があった場所を利用しての駅前再開発で知られる場所で、ここは大阪外環状線の南側の始発駅ともなる。駅のホームから、今後淘汰の進む国鉄時代の標準型通勤電車、103系を撮影してみた。前照灯が丸く、まだ電球1個で前を照らしていた頃の名残があり、このスタイルから、もともと冷房がなかったものの後から設置された車両である事もわかる。
久宝寺駅から複雑に入り組む道路をひたすら西方向に向かって進み、加美駅付近までやってくると、巨大な高架橋が立ち上がりつつあるのが目に見えてきた。これが、現在旅客化工事の進む北の貨物線、城東貨物線の姿である。この高架橋の奥に、線路が途中でぷっつりとちぎれた状態で運行休止扱いで放置されている南の貨物線、阪和貨物線の北の終端部がある。阪和貨物線は、古くは加美駅付近から大和路線に沿って八尾駅まで延びていたようだが、現在は加美駅付近で大和路線に合流する形になっている。同じ貨物線でも、北と南ではその様子が全く異なっているのである。
阪和貨物線と大和路線とがポイントで合流していた部分の線路は全て剥ぎ取られ、巨大なクレーンが高架橋の支柱の基礎工事のために鎮座していた。大阪外環状線の久宝寺〜放出間の開通後、再び阪和貨物線と大和路線とがポイントでつながるかどうかで、今後のJRの阪和貨物線に対する態度が表明される形になる。私は、ほぼ確実につながるものだと思っている。沿線住民からは、阪和貨物線はもう廃止になったのではと言う声も聞かれるが、それであれば着々と路盤の撤去、土地の売却が進み、以下のようなレポートは作れなくなっているはずだ。
上の写真からやや後ろへ下がったところにある踏切から、阪和貨物線と大和路線との合流地点を撮影してみた。工事に支障しない部分まで、線路が敷かれたまま放置されているのが見える。さらに架線もここで架線柱に引き込まれ、外環状線の高架橋建設の妨害とならないような措置がきちんと取られている。
阪和貨物線の全ての踏切にはこのような金網で構成されたバリケードが設けられていて、これは線路内へのごみの不法投棄を防止するためではないかと思われる。この写真を撮影していたとき、法面の部分を一匹の犬がうろうろしているのを発見した。阪和貨物線の列車運行が休止になってから1年以上経っているだけに、徐々に線路敷が単なる空き地と化しているような感じを受ける。


何と地上から2.1mしかない高さに阪和貨物線のガードがかかった場所を発見。ちょうどこのガードは、高架だった路線が地上に降りてくる途中の区間にあるため、これだけの高さにしか設置できないのは仕方ないのかもしれない。ただ、ガードの真下の道路幅は、もっと拡幅すべきだと思う。なぜなら、ここの道路は意外にも交通量が多いためなのだ。このガードの下だけ車一台分の幅しかないせいで、ここの付近で車同士がすれ違うのに苦労する光景を何度も目撃した。ちなみにこのガードは、1980年代に塗装が塗りなおされて以降、何も手が加えられず放置されているようだ。
阪和貨物線に沿って進路を南に進めると、大阪市交通局地下鉄谷町線の出戸駅が近づいてきて、次第ににぎやかさを増してくる。阪和貨物線が地上に降り切ったところにある竹淵踏切から、北側を撮影してみた。複線化のための路盤が確保してあるようだが、これはかつて国鉄が阪和貨物線を近代化しようと考えていた頃の名残なのだろう。





出戸駅が設置されると思われる場所を過ぎると路盤は再び単線幅となり、大きく西へ向かってカーブする。阪和貨物線の北西側に瓜破霊園が広がるようになってくると、徐々に地方のローカル線の雰囲気を帯びてくる。この付近では地方ローカル私鉄で今も多く見られる木の架線柱が未だに残っており、ここが大阪市内である事を忘れてしまいそうになる。かつてこのカーブ付近から、八尾空港に向かう短い支線が伸びていたようだが、瓜破霊園の東側は区画整理が行われているようで、どこから分岐していたのかはまるでつかめない状態だ。
瓜破霊園横のカーブを曲がりきると、そこから杉本町に向かって直線的に西へと線路が延びているが、次第に低い位置へと移行し、大和川の堤防の横を通るようになる頃には一段低い場所を通るようになっている。草木が生い茂った場所の近くを通るところでは、草が線路上にまで生えてきており、まるで地方ローカル線のようである。鉄道にそれほど詳しくない地元以外の人にとっては、廃線跡のようにしか見えないだろう。しかし、この路線は、まだ廃止になってはいない。いつか臨時ではない旅客列車がここを頻繁に通るようになるかもしれない。
上の写真と同じ場所から西の方角を撮影してみた。奥のほうに見える大きな道路橋は西名阪自動車道、高野大橋それに瓜破大橋である。これらの道路橋の方が存在感がとても大きく、阪和貨物線は低い場所を走っていることもあって目立たない。この周辺にある公共交通機関は市バスのみで、写真右側に高野大橋バス停がある。
南側に大和川が並行するようになると、阪和貨物線に沿って伸びる遊歩道から線路の様子をうかがうことができるようになる。西名阪自動車道と瓜破大橋の下をくぐった後、1キロほど歩いたところで振り返って撮影してみた。はるか遠くに見えている大きな構造物が西名阪自動車道と瓜破大橋である。左側に小さく阪和貨物線が伸びている。この遊歩道は大和川の堤防上にあるだけに見晴らしは非常によく、大勢の人がここを散歩している。大和川を手前に、西に沈んでいく夕日を撮影する事だって容易に出来てしまう。
近鉄南大阪線の下を潜り抜けて少し西側に来たところにも、薄暗くて阪和貨物線の存在が分かりにくくなる場所がある。この周辺には近鉄矢田駅があり、矢田地区の拠点駅となっていることを考えると、阪和線の旅客化が行われるとする場合、小規模ながら矢田駅ができる可能性がある。ただこれはあくまでも私の予想であり、実際にどうなるのかは全く分からないことであるので、本当に阪和貨物線に矢田駅が設けられるものだとは信じないでいただきたい。
「枯木踏切」という、寒そうな名前の踏切の近くから、庭井地区を通る阪和貨物線を撮影してみた。近くに阪南高校があり、住宅もまずまず多く立ち並んでいる。上で提案したように、この周辺に矢田駅を設置して旅客化するということは決してムダではないように思えるのだが。ただ単に、臨時列車や回送電車の通過の場として供するのはもったいないとJRは思わないのだろうか。まあ、収益の上がらないと見込める路線にはなかなか投資しようとしたがらないJR西日本のことだから、国土交通省が社会実験で試験的に阪和貨物線に1両で通勤電車を走らせてみようなどと言い出さない限り、いつまでも阪和貨物線は変わらないのかもしれない。
庭井地区からさらに西側へ進んでいくと、阪和貨物線はあびこ筋を構成する、吾彦大橋の下をくぐる。この橋の真下には地下鉄御堂筋線が通っており、まさに大阪市南側の大動脈なのだが、吾彦大橋の下は至ってのんびりした雰囲気だ。この橋の下にある踏切にもやはり金網での封鎖がされてしまっており、撮影しづらい。人々はここでも一旦停止せずに踏切を通っていく。いたずら防止のせいか遮断棒がなくなっているが、それがますます阪和貨物線の存在を目立たぬものにしている。
ここまで来ると阪和貨物線の終点、杉本町はもうすぐである。南側に大阪市立大学の杉本キャンパスが広がっており、住宅地の間を縫うようにして阪和貨物線の線路は延びている。地下鉄御堂筋線のあびこ駅に近いだけにマンションが数多く立ち並んでいる。大阪市立大学キャンパスの東側には、かつて御堂筋線があびこ止まりであった頃に設けられた地下鉄車両基地があったが、今は数キロ南側の新金岡へと移ってしまい、跡形もない。代わりに大阪市の公共施設がいくつも立ち並ぶようになっている。
阪和線の手前まで西へ向かって伸びてきた阪和貨物線は、杉本町駅の手前で大きく南にカーブし、杉本町駅の構内へと進入する形を取っている。杉本町駅のすぐ北にある阪和線の踏切の横には阪和貨物線の踏切も用意されているものの、こちらは警報機が残っている他は踏切らしさを失いつつあり、この通り軽トラックの駐車場所にされてしまっている。いつか阪和貨物線の各踏切にある金網のバリケードが解かれて、再び有用な路線として機能することを願うばかりだ。
杉本町駅構内に入った阪和貨物線が、杉本町駅4番線の横を一直線に伸びている。4番線の線路は普通電車が頻繁に入線するために輝きを保っているが、阪和貨物線のものはご覧のとおり錆び付く一方である。阪和貨物線はこの100メートルほど先で、阪和線に合流する形で終わっている。2004年までは「錆取り列車」なる線路維持のための回送車両がここによく停車していた事で鉄道マニアたちの人気を集める場所だったが、その光景は過去帳入りとなった。私は2002年ごろから、経済的観点で鉄道を見るくせがついているだけに、そんなものを走らせるくらいなら簡易ホームを出戸と矢田に整備して、単行(一両)で旅客列車を走らせるほうがまだいいのではないかと思っている。
杉本町駅構内の様子を撮影してみた。右端に写っているのが阪和貨物線で、本当に地味な存在である事が分かる。これまで私は過去に旅客化計画が策定されたために、いつか阪和貨物線が地域に密着した路線として活用される事を見込んで、「未成線」として扱った上で旅客化を期待する視点からコメントしてみたが、将来JR西日本が再び錆取り列車や阪和線〜大和路線間の車両入れ替え、臨時列車の運行ばかりを行うようになるならば、思い切って廃止と言う選択肢もあってよいと思う。どれも天王寺駅構内の留置線を使えば機能が代替できる上に、さして鉄道に興味のない沿線住民にとっては存在価値のない迷惑な存在だからである。阪和貨物線が廃止になるならばマニアたちは残念がるだろうが、鉄道とは言うまでもなく沿線住民の利便に供されるものでなければならない以上、仕方がないことなのではないだろうか。そんな事を考えつつ、私は普通電車に乗って杉本町駅を後にしたのだった。